「社会的弱者」になって気付くこと

 「社会的弱者」という言葉。メディア等でよく耳にはしていましたが、自分もそうなのだと感じる機会が、歳を重ねるごとに増えていきます。
 今は目。近視ではありますが、細かい文字に困ることはありませんでした。かつて商品開発の場において、デザイン優先、表現優先で、法令で定められている記載すべき事項については、文字を小さくすればいいと本気で思っていました。「これを読もうなんて人はいないし、読みたければ老眼鏡をかければいいでしょ」と。
 が、老眼になった今、当時の自分が、商品開発に関わる者としてどれだけ横暴で破廉恥極まりなかったのか、身をもって感じています。
 確かに、原材料表示は余り見ませんが、栄養成分表示や食べ方、レシピなど、読みたい情報が案外あるのです。パッケージA面の情報は、分かりやすい大きな文字なので一度見れば十分。B面の情報をもっとしっかり読みたいと思うのは、見えないからなのか、そんなお年頃になったからなのか。では老眼鏡に助けを求めるのかと言えば、抵抗勢力がまだまだ血気盛んで何とか裸眼で読もうと抗うのです。そんな気持ちも、若いときには分かりませんでした。
 最近、大腸炎を患いました。絶食をした後、消化がよいものから食べ始めます。会社でのランチ。軟飯にインスタントのみそ汁を合わせようとしましたが、「選べる6メニュー」のすべてに、食物繊維が多いわかめが入っていて食べられません。私には「選べない6メニュー」です。
 アレルギーがある、慢性の疾患がある、咀嚼嚥下に障害がある、宗教上の制限がある、ベジタリアン・ビーガンであるなどなど、広い意味での食市場における“弱者”は、年々増えているのだと思います。