飲食店の制限解除を前に食材費が高騰

 ランチの常連店が、11月1日からランチの価格を10~15%値上げすると言います。食材費の高騰が理由なのだそうです。非常事態宣言が解除され、飲食店に対する制限も緩和から解除に進もうとしている今。“さあ、これからだ”と勢いづく飲食店経営者に、食材費の高騰と人手不足という大きな壁が立ちはだかります。

 食材費の高騰には、大きくふたつの原因があります。ひとつは、世界的規模で起こっている異常気象による農作物の不作です。今年だけでも、北米、シベリア、トルコ、ギリシャなど世界各地で大規模な山火事や森林火災がいくつも発生し、農作物に甚大な被害をもたらしました。北半球の各地では、干ばつにより小麦などの作物が生育せず、家畜に与える餌に窮する国もあります。一方、南半球では、異常低温でとうもろこしやコーヒーの収穫に影響が出ています。

 もうひとつは、ワクチン接種による経済復活の動きと急激な消費量の拡大です。中国は牛肉を輸入したく、米国は、巣ごもり生活と住宅バブルで中国製の家電や家具、自動車部品が欲しい。頻繁な往復に船賃が上がり、“日本行き”は割の合わない航路になっているとか。希少な農産物を高騰した船賃で運ぶのですから、食材費が値上がるのは当然です。

 異常気象と新型コロナウイルス。地球の主人公は決して人間ではないこと、日本は自給率の向上を含め、持続可能な循環型食生活への取り組みを真剣に考えなくてはいけないことを、痛感しています。

料理レシピを愛読します

 料理を作るとき、私はよくレシピを見ます。手慣れた料理でもたまにはレシピを検索して、もっとおいしくなるレシピはないか、おもしろいアレンジをしているレシピはないかと探すのです。

 よく見るのは、「みんなのきょうの料理」(NHKエデュケーショナル)。Webに掲載されているレシピは、今は亡き料理研究家、新鋭の料理研究家、お世話になった料理研究家の息子や娘、親しいシェフたちのオリジナル。どのレシピも、読んでいるだけで楽しく、作りたい欲求が高まってきます。

 料理番組では、昼時間に放映される「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」(朝日放送テレビ)をよく見ます。大阪あべの辻調理師専門学校の、西洋料理、日本料理、中華料理の3人の教授が講師です。司会の上沼氏がひと口食べて感想を話すのですが、その表現がお上手で。今すぐに味見をしたい欲求に駆られます。しかも番組HPに掲載されているレシピもシンプルで、よく考えられているのです。これは、前出のシェフのレシピにも言えることですが、プロの技術とセンスが家庭料理に溶け込んでいて、その点がとても魅力的です。

 私は料理編集者をしていたので、レシピを読むと、料理のポイントと段取りがすっと頭に入ってきます。作りづらい書き方には、ケチをつけることも。“料理記者”の草分け的存在だった岸朝子先生は、「レシピを書く時は、左手に鍋、右手に菜箸を持ちなさい」とおっしゃっていました。順序だけではなく、流れを大切にすることを教えていただきました。

昭和ノスタルジーを満喫。万平ホテル

 緊急事態宣言が解除され、所用で軽井沢に行きました。久しぶりに、万平ホテルでランチをいただきました。

 軽井沢は、本通りも銀座通りも万平ホテルも観光客でいっぱい。規制緩和を受けて関東地区から観光客がどっと押し寄せたのでしょう。10月にしては暑い日でしたから、“夏休みの軽井沢?”と錯覚してしまうほどの混み具合でした。

 万平ホテルのメインダイニングのメニューは、コース料理とアラカルトで構成されています。押しは、コース料理。牛肉のグリルや鶏肉の赤ワイン煮、舌平目のムニエルや真鯛のポワレ、ビーフコンソメスープ、野菜にはヴィネグレットソースがかけられます。何もかもが懐かしい名前の料理。昭和のまま時間が止まっています。

 アラカルトは、名物のカレー。これは正確には、カツレツや魚介、野菜のソテーなどにライスが添えられていてカレーソースをかける提供スタイルなので、料理名は「○○とライス カレーソースと共に」と記されています。ほかには、ハンバーグにビーフストロガノフとこれまた昭和を代表する洋食がずらり。デザートに至ってはそのものずばり、「昭和50年代のレシピで作った カスタードプリン」「昭和50年代のレシピで作った ババロア アプリコットソース」など。本格的なスイーツのおいしさに日本人が驚いた半世紀近く昔の味が楽しめます。給仕人の、黒いスーツに蝶ネクタイの装いも昭和のまま。敢えて時代を追わないのは1936年に建てられた館との調和を考えてのことでしょうし、軽井沢で最初の洋式ホテルという伝統と誇りを守るという目的もあるのでしょう。

 おしゃれなカフェやブーランジェリー、大きなアウトレットモール、風格のある別荘群に加え、そこかしこに漂う昭和の趣が、若者たちを軽井沢に惹き付けているのかもしれません。

何かに模られる砂糖。昭和は鯛でした

 可愛いお土産をいただきました。白色や薄茶色のねこの顔を模った砂糖です。私は、コーヒーも紅茶もストレート派なので、飲み物に砂糖を使うことはほぼありませんが、余りに可愛いのでホットコーヒーに1個。ねこの顔が溶ける様を見ていたら、なんて残酷なことをしているのだろうという気分になり、思わず砂糖に詫びていました。

 製造は、老舗砂糖商の駒屋(愛知・名古屋)。それをヴィレッジヴァンガードがオンラインで販売しています。シリーズ名は「物語のある砂糖」。パステルカラーのハート形、花と蝶形、貝殻形のほか、ジグソーパズルのピース形、食パン形、手紙形などもあり、どれも砂糖菓子と呼びたくなるような、やさしいメルヘンの世界感に溢れています。

 昭和の時代、戦後しばらく砂糖は貴重な食品でした。結婚式などの祝い事の引き出物には、お赤飯の折と鯛の形をした砂糖の塊りが一緒に包まれていました。そう言えば、砂糖の四角い塊り、角砂糖も見なくなりました。街から喫茶店が消えて、角砂糖も出番がなくなったようです。

 初めてデートをする二人が喫茶店のテーブルをはさんで座っています。女性は男性のコーヒーに角砂糖を入れてあげるために「いくつ?」と聞きます。男性は「23」と年齢を答えてしまう。昭和のドラマでよく見たシーンです。固まる性質を生かし、何かに模れた砂糖。白雪糕(はくせっこう)と共に、懐かしく思う昭和のカタチです。