おいしいものへの執着

 先日、再び「銀座 慈生」に伺いました。おみやげに、“明石の鯛のかぶと”をいただきました。この日、“お向こう”に刺身として出された魚です。早速、焼き物に。かぶとのほかにも身が付いた部位がいろいろ。箸でほじくりほじくりいただきました。身を食べ尽くした後は、迷わずだし取りです。ていねいにアクをすくいながらコトコト。部屋中に香ばしい焼き魚の風味が広がります。
 ひと口いただくと、そのまま飲み干してしまいたくなります。この時、思い浮かべたのが、エースコックが11/4に発売した、手間のかかる魚を手軽に味わうことができる新感覚のカップスープ「飲む焼き魚 濃厚魚介醤油スープ」。“焼アジパウダー”をふんだんに加えた、苦味やうま味をしっかりと感じられる魚介しょうゆスープで、まるで焼き魚を食べているような香ばしい風味が広がるといいます。既に試したスタッフによると生臭さもなく、コンビニの塩むすびとの合わせ買いにぴったりだとか。
 さて、このおいしいだしをどうしよう。「銀座 慈生」の献立は、ご飯ものから始まります。先のコラムにも書きましたが、春にいただいた“たけのこご飯”のそれはそれはおいしかったこと。今回は、しじみのうま味を十分に引き出したお粥をいただきました。そのうま味が舌に残っていたのか、迷いなくお粥に。だしにご飯を入れて塩を少し。長ねぎのせん切りを添えていただきます。こんなとき思うのです。おいしいものへの執着があってよかったと。素材を前にしてまだ味わえるまだ楽しめると思うだけでうれしくなります。誰でも、おいしいものは大好きです。でも、それを堪能できる幅は、人それぞれです。
 そんなことを考えていたら、翌日のSNSに某テレビタレントが発した「生臭いからあら汁が嫌い」という記事。もちろん、鮮度や下処理の如何でいただけないあら汁もあるのでしょう。が、おいしいものには、特有のにおいがあり、それが独特のうま味に繋がっていることもまた事実。それを“臭み”と片づけてしまうのももったいない話だと思うのです。