大人になってたまに話題に上るのが学校給食。つい先日も高校時代の同級生と「脱脂粉乳」の話で盛り上がりました。“おいしくなかった”“あれで給食が嫌いになった”という発言は定番。次のテーマは必ず、いつ牛乳に切り替わったか。全員、違う小学校に通っていたから、この話題はかなり盛り上がる。“小学校の所在地が街中から郊外へと外れていくほど脱脂粉乳の飲用期間は長くなる”というのが私の持論で、小さな街の小学校に通っていた私の場合4年生で、仲間内では最長です。因みに、生まれも育ちも東京で脱脂粉乳を飲んだことがある同年代の人を私は知りません。
(一社)日本乳業協会によると、脱脂粉乳の給食が始まったのは、1946年(昭和21)。米国の民間団体の援助によるララ物資と呼ばれた救援物資のひとつとして東京、神奈川、千葉の小学生に提供されたそう。58年(昭和33)には、一部地域で脱脂粉乳が国産牛乳に代わり、64年(昭和39)には1年を通して国産牛乳が提供されたとあります。ならば、私は飲んでいないはず。おそらく、脱脂粉乳の在庫処分の役割が地方の小さな街に回ってきたのでしょう。
戦後、米国から送られた脱脂粉乳は子どもたちを栄養失調から救ってくれました。そして今、経済的に不安定な家庭に育つ「貧困状態の子ども」たちが9人に1人いると言われている日本において、学校給食が唯一の食事で栄養源という子どもたちがいます。一方で、食品価格の高騰や給食費の未払い世帯の増加などを理由に、給食を一時停止する自治体も出てきて、学校給食を取り巻く環境は悪化しています。
2025年から「大学無償化制度」という何とも中途半端な支援制度が始まります。急速な少子化に歯止めをかけることも、子どもたちの教育を受ける権利を守り、機会の平等を保つことも、もちろん大切です。が、何事も“衣食足りて”。「給食費の無償化」を急ぐべきだと考えます。